1920年、倉敷市出身の洋画家・岡本唐貴(1903-1986)は画家を志し、郷里倉敷から神戸へ、さらに東京に移り住みます。1922年、第3回中央美術展に「夜の静物」が初入選、翌年には第10回二科展に初入選するなど、画家として順調な一歩を踏み出します。
岡本が画家として歩み出した大正期後半、海外から流入した新しい美術の影響で、様々な前衛美術運動が日本で起こります。若き岡本はこれらの運動に参加して画風を目まぐるしく変え、遂には既成の芸術を否定するダダイズムに行き着き、絵画の制作を一時放棄します。岡本は画家としての自己否定に悩んだ末、「絵画の新しい生命力の回復」を目指し、1925年、仲間と〈造形〉を結成し、「海と女」など鮮やかな色彩で量感豊かな生命力溢れる人物像を描きます。
また、1920年代後半には労働争議や社会主義運動が盛んになり、社会を揺るがす動きとして注目を集めていました。岡本は労働者階級(プロレタリア)のこうした動きが新しい時代を作り出すと思い、プロレタリア美術運動に参加しますが、弾圧により運動の停止を余儀なくされます。戦時中、岡本は仲間と共にデッサンや美術史研究に努め、敗戦の翌年〈現実会〉を結成、民主主義時代の新しいリアリズムを提唱します。
本展では岡本の画家としての出発点から100年を記念して、当館収蔵品を中心に初期から晩年までの作品を展示、時代と共に歩んだ画家・岡本唐貴の足跡を辿ると共に、同時代の美術や資料を合わせて紹介します。