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2012/03/09

原 撫松「肖像 (伝 奥宗之進)」


原 撫松「肖像 (伝 奥宗之進)」

1906(明治39)年
55.6×45.4cm/油彩・キャンバス

作品解説

 京都府画学校で田村宗立に学んだ原は、帰郷後肖像画を描きながら絵画の研鑽を積みました。上京後は伊藤博文や西園寺公望の肖像を描き、肖像画家として知られるようになります。1904(明治37)年、原はロンドンに渡り、レンブラントをはじめオールド・マスターの作品の模写をして、ヨーロッパ伝統の油彩画技法を習得しました。ロンドン滞在時代に描かれたこの作品のモデルは、原と共にロンドンへ渡った大阪の商家の息子奥宗之進です。奥は原にとって弟のような存在で、ロンドン滞在はしばしばモデルをつとめました。絵具を丁寧に塗り重ね、重厚な画面を作り上げながら微妙な光の強弱を描き出したこの作品からは、原の高度な描写力がうかがえます。

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2012/03/09

満谷 国四郎「長崎の人」

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満谷 国四郎「長崎の人」

1916(大正5)年
91.3×116.8cm/油彩・キャンバス

作品解説

本作は、長崎市に住んでいた郷土史家・永見徳太郎の肖像画で、第11回文展に出品されました。モデルになっている永見は長崎市の旧家の生まれで、南蛮美術を中心とした収集家として、また芥川龍之介や竹久夢二ら多くの文化人と交友があったことでも知られています。満谷国四郎が永見に宛てた手紙からは、満谷が酒席でもてなされたり永見夫妻と花札に打ち興じるなど、両者の親しさがうかがえます。この作品では、グラスを手にくつろいだ雰囲気でソファにもたれる永見のまわりに、タピストリーと思われる古地図やギヤマンといった異国情緒あふれるモチーフが描かれ、いかにも南蛮美術を収集しているコレクターの肖像にふさわしい小道具が揃えられています。ところで、手前のテーブルにさりげなく置かれたワイングラスは、一体誰のためのものでしょうか。永見はすでに片手にグラスを持っています。満谷は親しみを込めて自分自身の存在をグラスに託して描いたと思われます。二人の交友の深さを物語る作品といえるでしょう。

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2012/03/09

三橋 健「いかりつくり」

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三橋 健「いかりつくり」

1938(昭和13)年
130.0×193.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

独立美術協会第8回展に出品された本作は、錨を打つ人体の表現など力強い躍動感に満ちた初期の代表作です。具象的な表現にもかかわらず、夢の中の世界を描いたような作品でシュルレアリスムの影響を感じさせます。戦後、三橋健は坂田一男と親交を結び抽象的な作品も描きましたが、国画会会員となった1955年以降は、鬼と女、ナワ蛇と巫女などの民俗学的な連作に意欲的に取り組みました。

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2012/03/09

柚木 久太「朝暾」

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柚木 久太「朝暾」

1954(昭和29)年
80.3×100.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

第10回日展に出品された本作は柚木久太の代表作のひとつで、錦江湾に浮かぶ桜島を描いた作品です。海と島の境目を画面のほぼ中央にとり、手前には鹿児島市街地が見えます。桜島の右後ろから昇る太陽のため逆光になった島の姿を、大胆に青を基調にした台形で描いており、そこにはときに噴煙を上げて人々の暮らしに災いをもたらす不気味さはありません。明るく穏やかな色彩でまとめられた画面からは、しらじらと夜が明け東の空に桜島の裾野から昇る朝日を見たときの感動が素直に表現されています。

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2012/03/08

中村 一郎「エジンバラ・冬」

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中村 一郎「エジンバラ・冬」

1975(昭和50)年
162.1×162.1cm

作品解説

中村一郎は1967年から翌年にかけて渡欧し14カ国を歴訪、1973年から翌年にかけても欧米を訪れています。第34回創元会展に出品された本作は、この旅行の成果のひとつです。重厚なマチエールでスコットランド東岸の古都エジンバラの凍てつく冬の夜の情景が的確に表現されています。正方形の画面を冬の夜空とぽつぽつとあかりがともるエジンバラの町を上下2分して、さらに下4分の1の部分に倉庫の屋根を描く構図も成功しています。

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2012/03/08

中津瀬 忠彦「風景A」

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中津瀬 忠彦「風景A」

1954-55(昭和29-30)年
50.0×97.5cm/油彩・キャンバス

作品解説

本作は、後楽園の木々と旭川の水面に映ったその影をモチーフにしています。フォルムを単純化していき、いくつかの塊として表現していくこのシリーズは、終生のテーマとして取り組んだ中津瀬忠彦のライフワークでした。中津瀬は一時期、「働く人々」のシリーズなどピカソを思わせるキュビスムに傾倒しましたが、この作品もキュビスムから学んだ画面構成の意識を展開した作品です。抑制の効いた渋い色調で描かれたこの作品は、均衡のとれたフォルムと堅実な構成力に支えられていながら、詩情性豊かな作品となっています。

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2012/02/21

皆見 鵬三「高梁川の秋麗」

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皆見 鵬三「高梁川の秋麗」


38.0×45.5cm/油彩・キャンバス

作品解説

具象的な雰囲気を残す本作は、山河に囲まれた吉備の山里に隠棲した皆見鵬三の心象風景とも思える小品です。この作品に見られるように、晩年の皆見は、現実の風景などをモチーフとしながら、流れるような線と明るい色彩による作品を数多く残しています。ここには、明らかに牧野虎雄の影響がうかがえますが、理想とする胸中の山水を描いた文人画家とも共通する日本的な油彩画の確立をめざした作家の姿が垣間見えます。

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2012/02/21

山本 正「薪能」

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山本 正「薪能」

1961(昭和36)年
97.5×194.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

本作は、当時、山本正が取り組んでいた薪能をテーマにした作品のひとつです。山本は1962年の個展に際し、次のように述べています。「主題は、私が薪能から受けた、感動です。それを、私なりに、抽象し、現代的に形象してみました。私は、何よりも、作品が新鮮であるように心がけ、直接的に、また、即物的に創作しました 」この言葉からもわかるとおり、当時の山本は、モチーフとなった対象を大切にしながら、色あざやかで自在な心象風景を展開しています。

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2012/02/21

松原 三五郎「能道具図」

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松原 三五郎「能道具図」


36.5×85.0cm/油彩・板

作品解説

本作には、能に用いられる道具、鼓・扇・見台・3冊の謡本が描かれています。扇には観世流の祖・観阿弥をあらわす「観阿」の文字が見えます。ページが開かれた謡本の曲目は『高砂』であり、クライマックスとなる場面が作品を見る者に読み取れるように描かれています。世阿弥がつくった謡曲『高砂』は、高砂尾上の松と住吉の松が夫婦であるという伝説を素材とし、天下泰平を祝福するめでたい曲目で、婚礼など祝賀の席で多く謡われます。この作品を描くにあたって、松原三五郎は祝いの意味を込めた絵を依頼されたのかもしれません。

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2012/02/21

満谷 国四郎「戦の話」

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満谷 国四郎「戦の話」

1906(明治39)年
107.4×151.5cm/油彩・キャンバス

作品解説

1906年の第5回太平洋画会展、翌年の東京府勧業博覧会に出品された本作は、日露戦争という非日常的な出来事を庶民の生活の中で率直にとらえており、当時の社会情勢の一端を反映しています。美術評論家の森口多里は、1943年に発行された『美術五十年史』の中で「帰還の一兵士が軍服のまま畳の上に坐って銃剣を構えた身振りで一家族に戦争話をしている場面で、兵士の後ろの硝子障子から差し込む初夏らしい日光が座敷の中の一群の人物の明暗を際立たせることによって、洋画としての画的効果を高めた」と評しています。確かに、この作品の大きな見どころのひとつは光の効果的な使い方にあります。そのうえで、たとえば画面中央で立て膝をついて話を聞いている男の足元や帰還兵があぐらをかいている部分など意識して曖昧に描いています。

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2012/02/21

坂田 一男「裸婦」

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坂田 一男「裸婦」

1924(大正13)年
92.1×62.9cm/油彩・キャンバス

作品解説

「裸婦習作」と同年に描かれたこの作品では、ピカソやブラックの分析的キュビスムの手法が試みられています。その翌年に描かれた「裸婦」では、オザンファンやジャンヌレが主張したピュリスムと呼ばれる色面によって分割された幾何学的な抽象表現の影響を受けています。わずかの間にめまぐるしく変化する画風からは、新しい絵画を熱心に研究し、試行錯誤しながら西洋の新しい理論を吸収しようとしていた意欲的な作家の姿がうかがえます。

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2012/02/21

平木 政次「伊豆下田港」

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平木 政次「伊豆下田港」


54.0×101.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

黎明期の洋画は、幕末明治期に盛んだった本草学などの自然科学と結びつき、ありのままを忠実に描くことによってその存在価値が認められました。平木政次は、1879年に、大森貝塚を発見したアメリカの動物学者モースから、出土した土器を描いた石版画に実物を見ながら着色する仕事を依頼されています。その翌年からは文部省の教育博物館に画工として任命され、動植物の標本画の作成に携わるなど、実用的で合理的な写生を身につけました。近代に入り、写生に基づく風景画が広く描かれるようになりますが、本作も見たままの風景を忠実に再現しようとしたもので、平木の実直な制作態度をうかがうことができます。技術的には、ペインティングナイフを使いこなしている部分も見られ、明治時代の洋画が急速に発達していく様子がわかります。

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2012/02/21

堀 和平「母子像」

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堀 和平「母子像」


45.0×57.5cm/油彩・キャンバス

作品解説

堀和平は実業家として成功する一方、神戸での仕事の合間に外国人から油絵の技法を学んだといわれ、岡山洋画壇の先駆けとなる人物です。本作は堀の代表作のひとつで、西洋絵画の陰影法を取り入れて、人物の顔や着物のひだの立体感を表現しようと苦心しながら描いています。この作品は、当時の石版画などにも同じポーズをした女性像が見られ、1917年に発行された『美術』第1巻第5号所収の亀井至一が制作し同郷の平木政次が所蔵していた「お以久」という石版画もそのひとつです。さらに、本館が所蔵する堀の作品には、明治天皇像やナポレオン像のように写真や印刷物を参考にしたと思われるものもあります。堀は明治時代前期、洋画の画題そのものが未だ手探りだったとき、風景画や静物画などに加えて幅広い画題に意欲的に挑戦し、熱心に制作していたと考えられます。

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2012/02/21

鹿子木 孟郎「放牧」

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鹿子木 孟郎「放牧」

1919(大正8)年
65.3×93.5cm/油彩・キャンバス

作品解説

本作は、鹿子木孟郎の還暦を記念して、1934年に刊行された『鹿子木孟郎画集』に掲載された1点です。1918年、鹿子木は3回目のヨーロッパ留学から帰国、この作品はブルターニュで取材した牛を描いた一連の作品のひとつで、帰国の翌年に完成しました。鹿子木はこの時のフランス留学時代について「余の最も専心学修せしは絵画のコンポジションなりき」と述べています。当時パリのアカデミーでは、解剖学に基づいた人物表現などを通して、総合的な美としてすぐれたコンポジションを獲得することが職業画家として生計をたてていくための当り前の手順でした。鹿子木は、誰にも負けないデッサン力と構想力を身につけて、自信に溢れて帰国しましたが、帰国後の鹿子木を待っていたのは、黒田清輝をはじめとする白馬会系の洋画家たちの隆盛で、鹿子木のコンポジションを重視した堅苦しい考え方は、思想的な裏付けのない日本の風土には馴染まず、日本洋画壇で根付くことはありませんでした。

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2012/02/21

児島 虎次郎「婦人」

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児島 虎次郎「婦人」


96.5×61.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

本作は、1909年から1912年にかけての児島虎次郎のベルギー留学時代の作品です。児島は、この作品で点描風の明るい色彩や光線の取り方など印象派の手法を身につけることに力を注いでいますが、仔細に見るとスカートの中央部分の処理など苦心の跡もうかがえます。児島は47歳の若さで急逝し、本作は1936年に大阪中之島の朝日会館で開催された遺作展に出品されました。

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2012/02/21

小林 喜一郎「平井村の山」

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小林 喜一郎「平井村の山」

1931(昭和6)年
72.8×91.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

小林喜一郎は酒杜氏だった父親の出張先である高知県に生まれ、少年期を現在の倉敷市玉島で過ごしました。1916年に21歳で上京、中川一政に師事し三岸好太郎らとともに画業に励んだ。1928年、結婚を機に帰岡し、後進の育成に力を注ぎました。戦後は倉敷市水島に移住し、ふるさとの風景や身近な家族などをあたたかい色調で描きました。本作は、岡山市内の身近な風景を描いた作品で、第18回二科展に出品し、安井曽太郎から「非常に明るくなっていいようです。唯だ距離が出ればなほ一層よかったと思われます」(『美術新論』第6巻第10号)と評されました。

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2012/02/21

齊藤 國雄「農地改革―百姓―」

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齊藤 國雄「農地改革―百姓―」

1956(昭和31)年
113.0×142.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

「もはや戦後ではない」と謳われた昭和30年代、日本は、高度経済成長を遂げていく一方で、日米安全保障条約の締結など戦後日本の行方を左右する出来事が次々に起こります。齊藤國雄は、当時のこうした戦後日本の社会的なひずみなどをテーマにした作品を描いた作家です。1956年、齊藤は前衛美術会の桂川寛や尾藤豊らを東京から招聘し岡山市内で展覧会を開催するなど、自身が組織した美術研究団体・青年造形集団の中心メンバーとして積極的な活動を行いました。同年に描かれた本作は、1957年年の第5回ニッポン展に出品されましたが、格差社会などの問題に取り組んだルポルタージュ絵画として、時代を反映した表現となっています。

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2012/02/17

岡本 唐貴「海と女」

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岡本 唐貴「海と女」

1926(大正15)年
83.5×141.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

岡本唐貴は大正期に前衛美術運動、昭和初期にはプロレタリア美術運動の中心人物の一人として活躍しました。キュビスムや未来派などの影響を受けた大正期の岡本の絵画は、時代の先端を担っていた反面、おおむね抽象的で一般にはなじみにくいものでした。1925年、岡本は矢部友衛らとともに美術団体・造型を結成、「芸術はすでに否定された。今やそれに代わらんとするものは新しい『造型』である」という言葉で始まる宣言文からは、今までにない新しい表現をめざした彼らの意気込みが感じられます。第2回造型展に出品された本作は、水着姿で横たわる目鼻立ちのくっきりした女性を描いた作品です。異様に大きな目と量感が強調され逞しさすら感じさせる描き方は、造型のメンバーに共通して見られる特徴です。赤外線を当てると、目の大きさや位置など何度も描き直した下書きの線が見られ、変更を加えながら作品を仕上げていった様子がわかります。

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2012/02/15

岡野 耕三「ラ・マンサナ(りんご)」

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岡野 耕三「ラ・マンサナ(りんご)」

1971(昭和46)年
162.0×130.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

本作は、背景を丁寧に白く塗り、リンゴを思わせる形態も必要以上に絵具を盛り上げていないため、見た目にはシンプルな印象を与えますが、多くの色彩を幾重にも塗り重ねて描いた作品です。対象となる形態と背景は、発色に気を使って慎重に塗り分けられており、岡野耕三が生涯を通して絵画の透明感にこだわった画家だったことがわかります。

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2011/06/29

赤松 麟作「鳩」

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赤松 麟作「鳩」

1928(昭和3)年
65.0×141.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

赤松麟作は幼少期津山から大阪市に移り、文展、帝展で活躍する一方、大阪洋画壇で指導的な役割を果たしました。1939年に刊行された『麟作画集』に採録されている本作は、大阪市天王寺にある四天王寺の縁日の風景を描いた作品です。門前に集う人々を簡略な筆さばきで的確に表現しており、日常的な庶民の風俗を暖かい共感をもって描いています。

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2011/05/01

青木 正春「呪詛」

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青木 正春「呪詛」

1958(昭和33)年
111.8×161.8cm/油彩・キャンバス

作品解説

日本アンデパンダン展に出品した本作は青木正春の代表作のひとつです。昭和30年代は、情報通信網の発達により、新しい美術の動向が瞬時に全世界に伝わるようになりました。従来の常識では美術の範疇に入れがたい作品が次々に現れ、絵画・彫刻といった表現形式そのものが問い直される時代となっていきました。あらゆる定形を否定した抽象絵画、いわゆるアンフォルメル(非定形)絵画の登場も、この時代の出来事です。抽象絵画といってもこの作品は、ドリッピングを多用するような当時はやりの作品と違い、赤を主体とする絵具の層を塗り重ねることによって、うごめくような形態が形成されており、青木の内から発するような衝動を絵画化したものと言えるでしょう。

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2011/04/21

片岡 銀蔵「ロシア嬢」

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片岡 銀蔵「ロシア嬢」

1928(昭和3)年
91.0×60.6cm/油彩・キャンバス

作品解説

片岡銀蔵は、同世代の多くの画家たちと同じように渡仏し、フォービスムやエコール・ド・パリの画家たちなどの絵画に大きな刺激を受けながらも満谷譲りの画風に磨きをかけました。本作は、エキゾチックな瞳の異国の少女を安定した構図と色彩でとらえており、片岡の非凡な技量を示しています。片岡が描いたこの作品のモデルが、同じ衣装を着て、同じ椅子に腰かけ同じポーズをとっている写真が残っていますが、片岡は実際のモデルによる制作に加え、こうした写真も手がかりにして作品を描いたと考えられます。

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2011/04/21

河原 修平「早春の田園町」

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河原 修平「早春の田園町」

1938(昭和13)年
130.3×193.9cm/油彩・キャンバス

作品解説

本作は、空の寒色と大地の暖色を鮮やかな色彩で対比させ、画面全体を大胆な筆遣いでまとめています。下駄履きで煙草をふかしながら右端に立つ人物は河原修平自身である。ちなみに、河原は当時、豊島区長崎町に住んでいましが、この界隈はいわゆる池袋モンパルナスと呼ばれ芸術家が多く住んでいたことで知られており、一時期、片岡銀蔵や中山巍、三橋健らもいたことがあります。

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2011/04/21

小林 和作「海(紀州太地)」

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小林 和作「海(紀州太地)」

1960(昭和35)年
81.0×100.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

周防灘に面した山口市秋穂地区に生まれ、後半生を尾道市で過ごした小林和作は、風景画、中でも海岸風景を好んでモチーフに取り上げました。構図の美しさこそ風景画の基本と考え、日本全国の海や山の名所はほとんど訪れて、熱心にスケッチしたといいます。これらをもとに、ペインティングナイフを多用した素早い筆致で、堅固な画面構成と豊かな色彩を持つ作品が生み出されたのです。この作品は、ごつごつとした岩場とうち寄せる太平洋の荒波が力強いタッチで描かれていますが、そのなかで海の深い青色と波の白さが画面を引き締めています。(倉敷市立美術館ニュース「ホワイエ」第12号(1999年9月発行)より転載)

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2011/04/21

斎藤 真一「星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)」

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斎藤 真一「星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)」

1971(昭和46)年
130.0×97.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

瞽女とは、三味線を手に門付けをしながら村々を巡る盲目の女旅芸人のことです。1964年新潟県へ出向き、高田瞽女最後の親方・杉本キクエを訪れた斎藤真一は、翌年より10年以上にわたり、瞽女が旅先の村々で決まって泊まる、いわゆる瞽女宿と呼ばれる農家を取材し、100人以上の瞽女の生涯やエピソードを記録しました。斎藤が描く瞽女は哀感に満ち、社会的弱者ゆえのはかなさを漂わせていますが、同時に凛とした存在感を持っています。瞽女の着物や残照の赤が印象的な本作は、第14回安井賞佳作賞を受賞した代表作です。17歳の花盛りに肺病で死んだみさお瞽女を偲び描いたといわれるこの作品の夜空には、みさお瞽女の魂が星になって輝いています。

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2011/04/21

坂田 一男「裸婦習作」

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坂田 一男「裸婦習作」

1924(大正13)年
92.2×65.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

坂田一男はわが国抽象絵画の草分け的な存在として知られています。1921年に渡仏、はじめオトン・フリエスに師事しますが、フェルナン・レジェの教室に移りキュビスムの研究に取り組みました。本作は、フリエスに学んだフォービスムの影響下にありながら、しだいにレジェが教える抽象へと移行する時代の貴重な作品のひとつです。限定された色彩を用いて描かれたどっしりとした人物表現からは、造形的な骨格を獲得するために真正面からモデルに立ち向かっていった坂田の真摯な制作態度が偲ばれ、背景の空間処理にはキュビスムへの過渡的な状況の中で模索を繰り返している様子が垣間見えます。

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2011/04/21

坂田 一男「コンポジション」

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坂田 一男「コンポジション」

1926(大正15)年
55.0×46.1cm/油彩・キャンバス

作品解説

坂田は深い情緒性や豊かな装飾性を大切にする日本の風土の中で、葛藤を繰り返しながら理知的な創作活動を貫きました。彼はレジェに現実を再現するのではない新しい美術の表現を学びました。それは「見えるとおりに描くのではなく、知っているとおりに描く」というピカソの言葉にも示されている通り、視覚を超えた分析的で構成的な絵画表現の追求でした。幾何学的な形態を組み合わせたこの作品は、キュビスムの影響から純粋な幾何学的抽象への移行をうかがわせるもので、画面上に見られる現実世界を喚起させる壺などのイメージは、こののち次第に排除されていきます。

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2011/04/21

佐藤 一章「後向」

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佐藤 一章「後向」

1929(昭和4)年
91.0×116.0cm/油彩・キャンバス

作品解説

本作は、1930年に開催された1930年協会第5回展に出品され、1930年協会賞を受賞した作品である。日本の風土に根ざした油絵の創出をめざした佐藤一章は、この時期、写生に徹した堅固なフォルムの追求を試みています。この作品は、茶褐色を主体とした画面やパレットナイフを使って量感を強調する手法などに前田寛治や佐伯祐三からの感化が、さらには前田が私淑したクールベへの憧憬がうかがえます。佐藤は、背中を向けた裸婦をテーマにした作品を何点も制作しますが、1930年協会の先輩たちの画風や技術を自らのものとするため習練を重ねていたと思われます。

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2011/04/21

高橋 秀「出現」

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高橋 秀「出現」

1993(平成5)年
270.0×400.0cm/アクリル・キャンバス

作品解説

高橋秀は第5回安井賞を31歳の若さで受賞したのち、1963年にイタリアに移住、その後40年以上にわたりローマを拠点として活躍し、エロスをテーマにして重量感あふれるモニュメンタルな作風を展開しました。本作はシェイプト・キャンバスとビニールレザーを組み合わせ、洗練された形態と明快な色彩に日本的な美意識を融合した大作です。高橋は1993年、日本人として初めてローマ国立近代美術館で個展を開催しましたが、この作品はそのとき会場の正面を飾った記念すべき作品です。母性や太陽をイメージさせるスケールの大きなこの作品は、ローマ在住時代の集大成であり代表作のひとつです。

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2011/04/21

寺松 国太郎「サロメ」

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寺松 国太郎「サロメ」

1918(大正7)年
57.0×119.5cm/油彩・キャンバス

作品解説

本作は、新約聖書の記述を元にした19世紀末のオスカー・ワイルドによる戯曲「サロメ」の一場面が描かれています。戯曲では、イスラエルの王女サロメが、養父ヘロデ王の誕生日の祝宴で、舞いの報酬として望みのものを与えるという王の約束に対し、自らの求愛を拒絶した預言者ヨハネの首を所望します。西洋では、サロメの主題は絵画のモチーフとして古くから取り上げられてきましたが、モローやビアズリー等によって数々の名作が生み出される19世紀末になると、聖書の宗教的な物語の意味合いは薄れ、罪と死の影が宿る宿命の女(ファム・ファタール)として描かれるようになります。寺松国太郎が描くサロメも、退廃的で官能的な女性像となっています。裸婦を得意とした寺松は、サロメの右足とヨハネの首をのせた銀の盆を画面端で断ち切り主題をクローズアップさせることにより、より魅惑的な女性像を演出しています。

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