2012/03/14 瀧口 修造/岡崎 和郎「檢眼圖」 瀧口 修造/岡崎 和郎「檢眼圖」 1977(昭和52)年26.0×26.3×26.0cm/アクリルにシルクスクリーン・レンズ・アルミニウム in 5:彫刻・立体など
2012/03/14 岡崎 和郎「黄色い人形」 岡崎 和郎「黄色い人形」 1967(昭和42)年8.0×14.5×10.5cm/ポリエステル・樹脂■作品解説岡崎和郎は「西洋では見落とされてきた物の見方を、東洋の見地から補足するようなオブジェを制作する」という理念のもと、御物補遺という独特の概念を確立しました。御物補遺とは、皇室の所蔵品をさす御物と、漏らし落とした事がらを補足するという意味の補遺という言葉を合わせた岡崎の造語で、ときに物補遺といわれることもあります。これは、岡崎がオブジェの制作を始めた1963年以来、現在に至るまで基本的な造型理念としているものであり、こうした理念をもとに人形や手袋、電球など身近にある物の形を反転させたり、わずかに変形させたりすることで、物と空間の関係を意識させ、物に対する新しい見方を提示し、物の持つさまざまな側面を作品にしました。合わせ鋳型で作られた本作は、それぞれ凸と凹の左右のハート型を重ねるとぴったり合うようになっています。ある一方が他方を補っているのではなく、どちらも主であり従ともなりうるという可能性を暗示したこの作品には、一貫してオブジェの制作に携わってきた岡崎の物に対する思想が凝縮されています。 in 5:彫刻・立体など
2012/03/14 岡崎 和郎「HISASHI」 岡崎 和郎「HISASHI」 1995-97(平成7-9)年66.5×16.5×10.0cm/ブロンズ■作品解説1977年頃、岡崎はHISASHIシリーズに着手します。HISASHIは、庇に由来しています。家の庇は風雨などを避けるために人工的に作られたものですが、自然界でも、木陰や岩の下などが庇の役目を果たしながら生物を守っています。庇は、庇という物の名前ではなく、屋根の延長部分であったり物陰の一部であったりなど常に何かの部分として存在しています。つまり庇は、庇の役目を果たすことでそう呼ばれる機能を指しています。岡崎は、庇を戸外から室内に移すことによって、生命の休息という庇が本来持つ機能や意味を、見る人に問うています。本館のエントランスホールには2点「HISASHI」が常設展示されています。 in 5:彫刻・立体など
2012/03/14 草間 彌生「鏡の部屋 愛は永遠に(No.2)」 草間 彌生「鏡の部屋 愛は永遠に(No.2)」 1982(昭和57)年75.0×75.0×170.0cm/ミクストメディア in 5:彫刻・立体など
2012/03/14 塩見 允枝子「SPATIAL POEM No.1」 塩見 允枝子「SPATIAL POEM No.1」 1965(昭和40)年30.0×46.0×5.5cm/紙・ピン■作品解説塩見允枝子は1964年から翌年にかけてニューヨークに渡り、前衛美術運動・フルクサスに参加しました。フルクサスでは様々なジャンル、国籍の作家が実験的な試みを繰り広げ、特に日常的な行為を取り込んだ「イヴェント」と呼ばれるパフォーマンスを重視しました。「同封したカードに言葉を書いて、それをどこかに置いて下さい。そして何の言葉をどこに置いたか、どうぞ私に知らせて下さい。世界地図の上にそれらを編さんしますから」と書いて、塩見がフルクサスに関係する100人以上の世界中の知人に手紙を送ったのは、彼女が日本へ帰国する数ヶ月前のことです。78人から寄せられた返信の言葉を編さんすることにより、目で見る空間の詩ともいうべき作品〈ことばのイヴェント〉が生まれました。塩見はカードに書かれた言葉とカードが置かれた場所を表裏に記載した旗を作成し、世界地図の上に立て、参加者全員に送りました。一見他愛のない回答が編さんされると、この地上で多様な人々が日常生活を営んでいることが不思議な感動と共に実感されます。言葉だけが描かれた白い地図と旗は、作品を観る者(詩を読む者)の想像力を最大限にかき立てます。 in 5:彫刻・立体など
2012/02/26 髙原 洋一「Prometheus on the Rock of Mannari Ⅵ・A」 髙原 洋一「Prometheus on the Rock of Mannari Ⅵ・A」 2000(平成12)年80.0×80.0cm/レザープリント in 5:彫刻・立体など