2012/03/13 稲葉 春生「芍薬」 稲葉 春生「芍薬」 168.5×233.5cm/絹本着色■作品解説 春生は1925(大正14)年、池田遙邨の紹介で竹内栖鳳に弟子入りします。この作品はその頃描かれたもので、この時の雅号は「春山」でした。その当時しばしば手本とされていた、中国の宋元院体花鳥画を良く研究していたことがうかがえる作品です。芍薬の花びら一枚一枚のすみずみまで神経をいきわたらせて描いており、楚々とした美しさが表現されています。 背景は微妙な濃淡が付けられ、暗い部分は花もその中に静かに溶け込んで沈潜し、光の当たっている部分では花も明るく可憐で、上品に輝いています。 in 1:日本画
2012/02/26 柚木 玉邨「秋景山水図」 柚木 玉邨「秋景山水図」 1915(大正4)年35.4×41.5cm/絹本着色■作品解説柚木玉邨は、明治から昭和初期にかけて活躍した南画家です。第八六国立銀行の取締役など要職を歴任し、岡山県農会の幹事兼技師として働くなど、産業の分野で活躍しました。来訪中の清国の胡鉄梅に師事し、流麗で品格の高い水墨画を描きました。1927年には、日本書道作振会展で文人画部第1席推薦東日賞を受賞しています。日本の南画家は、中国南宗画の基本的な理論と描法をまとめた『芥子園画伝』などを参考にして独自の水墨画をつくっていきましたが、本作は玉邨がこうした中国の画譜に習熟していたことをうかがわせる佳作です。 in 1:日本画
2012/02/26 横井 金谷「美人図」 横井 金谷「美人図」 1797(寛政9)年118.0×36.5cm/絹本着色■作品解説横井金谷は1788年、住職を務めていた金谷山極楽寺が消失したのを機に全国放浪の旅に出ました。本作も旅の途上、兵庫県北部の城崎温泉で描かれています。1823年頃には倉敷に逗留、倉敷市阿知にある観龍寺の風牀上人や倉敷の豪商・水澤邦綱らと交友し、この地に多くの作品を残しています。画人としての金谷は、もっぱら形式にとらわれない自由奔放でダイナミックな山水画を描きました。加えて、庶民的で身近な感情から発した飄逸な作品も多くあります。その画風は敬慕していた与謝蕪村の影響が見られる作品や、この作品のように南画に写生画のおもむきを加えた作品の他、洋風画を試みた風景作品など多彩であり、金谷の興味が多方面に及んでいたことをうかがわせます。 in 1:日本画
2012/02/21 津田 白印「竹林山水図」 津田 白印「竹林山水図」 1915(大正4)年141.5×41.0cm/絹本墨画■作品解説南画とは、中国で文人画あるいは南宗画と呼ばれていた絵画に触発され、江戸時代後期に日本で名づけられたものです。中国において文人画とは職業画家の絵に対する言葉として士大夫の教養に基づいた絵画を指し、南宗画とは北宗画に対する言葉としてもともと地域的な様式の違いを示す概念として用いられました。しかし日本ではこうした区別は曖昧で、南画という括りで語られるのが一般的です。津田白印は、明治から昭和初期にかけて活躍した南画家で、社会事業家としても活動しました。幅広い学識と無欲恬淡な人柄に拠る画風は、本作にも見られるとおり清澄で品格が高く、多くの人々に親しまれました。 in 1:日本画
2012/02/21 御船 綱手「世界周遊実写 欧山米水帖」 御船 綱手「世界周遊実写 欧山米水帖」 1913(大正2)年(各)25.0×19.0cm/絹本着色■作品解説東京美術学校で橋本雅邦の指導を受けた御船綱手は、卒業後は大阪で画業に励みました。1910年、日英博覧会に際して大阪朝日新聞の西村天囚と欧米を旅行、そのときの見聞を基に欧米各地の風景をこの作品に見られるとおり、画帖にまとめたのをはじめ、この頃欧米のエキゾチックな景観を精力的に描いています。本作は3帖72図にわたって、寄港地のハワイにはじまり、北米、英国、アイルランド、フランス、イタリア、スイス、ドイツ、ロシアの様々な名勝地を、山岳地と水辺の風景に焦点をあてて描き出しています。 in 1:日本画
2012/02/21 衣笠 豪谷「備中倉子城図」 衣笠 豪谷「備中倉子城図」 1892(明治25)年11.9×269.5cm/紙本着色■作品解説1915年に刊行された『豪谷画葊遺墨集』にも掲載されている本作は、全長269.5cmの巻物で、倉敷の中心部から、ほぼ360度見渡した風景を描いた作品です。西は連島山から、時計と反対に南まわりで足髙神社がある葦髙山、福田越、笹沖村ときて、「金毘羅山ト云」と書かれた種松山、続いて福南山が描かれています。羽島山から鶴形山の観龍寺あたりを描いた近くには、「衣笠豪谷所生」と自分の出生地も明記されています。東から北へ目を転じると、二子金平山、福山、最後に酒津兜山で終わっています。当時の倉敷の様子を伝える貴重な資料といえるでしょう。 in 1:日本画
2012/02/21 釧 雲泉「山水図」 釧 雲泉「山水図」 42.6×179.3cm/銀地墨画淡彩■作品解説釧雲泉は長崎で画技を学んだ後1791年頃に来岡し、1800年頃まで備前・備中を中心に活動しています。本作は銀地に描かれた扁額で、1795年頃に備中地方で制作されたと推定されます。写生に基づいた実際の風景ではなく、現実世界を超えた理想郷を描いた作品で、俗臭のない南画となっています。 in 1:日本画
2012/02/21 黒田 綾山「三国志図」 黒田 綾山「三国志図」 150.5×349.2cm/金地着色■作品解説黒田綾山の作品は、山水画、人物画、花鳥画など多彩ですが、特に中国の故事や説話に取材したものが多く、それらは常に深い教養に裏打ちされています。本作は『三国志』から想を得た作品ですが、綾山は関羽などこの物語に登場する人物をよく描いており得意としていました。この作品は綾山には珍しい金地に描かれた屏風の大作です。 in 1:日本画
2012/02/21 大橋 正堯「林孚一像」 大橋 正堯「林孚一像」 1893(明治26)年85.0×35.3cm/絹本着色■作品解説本作は洋画家・大橋正堯が、日本画を描く際の雅号・豪山の名前で描いた林孚一の肖像です。孚一は、倉敷の豪商で勤王家として知られており、藤本鉄石、佐藤正持といった勤王画家や南画家の田能村直入など多くの文化人と交友しました。孚一は1892年に亡くなっているため、この作品は故人を偲んで遺族が大橋に依頼したものと思われ、遺影となる写真をもとに描かれたと考えられます。 in 1:日本画
2012/02/21 岡本 豊彦「連島真景図」 岡本 豊彦「連島真景図」 1794(寛政6)年29.0×236.4cm/絹本墨画淡彩■作品解説本作は、岡本豊彦が21歳頃の作品です。円山四条派の代表的な作家の一人に数えられる豊彦ですが、この作品には綾山らについて勉強した南画の雰囲気が色濃く残っています。玉島側の河口付近から連島を望んだ実景と推測され、左端に見える高梁川は前方に広がる瀬戸内海に注がれています。また、画面中央付近には箆取神社と思われる建物も描かれています。 in 1:日本画
2012/02/21 小野 雲鵬「美人図」 小野 雲鵬「美人図」 1825(文政8)年頃119.6×36.2cm/絹本着色■作品解説本作は、小野雲鵬が29歳頃の作品で、雲鵬が若い頃用いていた湘雲の落款から、修行していた京都時代に描かれた作品であることがわかります。 in 1:日本画