資料5 「〔高梁川嘉永洪水絵図〕」(早島町教育委員会所蔵)
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〔解説〕
資料1と同じ範囲を描いた絵図ですが,作者(御崎宮の宮司太田宗喬)による書き込みが随所にあり,各地の浸水の深さや被害の状況,救助の様子,作者の思いが読み取れます。作者は,洪水は天災といいながら,福田新田の南に更に新田を築いたため大水を捌けなくなったことが原因と,隣国の民の煩いを考慮しない備前の国風を非難しています。小瀬戸では,堤を押し切ろうと押し寄せる倉敷・備前の船と,それを山で竹槍を持って待ち受ける帯江・早島の農民たちが描かれており,堤を切って帯江・早島に水を流すことに対する非難が書かれています。帯江・早島と興除新田の境堤が切れて興除新田も浸水しており,興除新田の南の堤も切って干潟に水を流しています。東端では妹尾川の堤防を工事して浸水を防いだことが賞賛されています。