提携のいきさつ
1968年7月クライストチャーチ市出身のマイケルゴーマン氏が来倉し滞在。本市の文化・経済を研究するかたわら、倉敷市の物産展をクライストチャーチ市で開催したり、対日ニュージーランド通商施設団の来倉手配するなど積極的に両市並びにニュージーランドとの交流活動に尽力されました。
こうした状況のもと、クライストチャーチ市議会は、1972年7月に倉敷姉妹都市委員会を設置、同年10月に委員長が訪日を機に大山茂樹倉敷市長に面会しました。
また、1972年9月のクライストチャーチ・タウンホール開館式及び1973年1月の芸術祭の開催に際して倉敷市長へ公式招待状が届くなど、都市提携への積極的な呼びかけがありました。
これらの要請を受け、1973年3月7日倉敷市議会は、正式に姉妹都市提携を決議、クライストチャーチ市議会も同年3月13日に両市の姉妹都市提携を確認し、ニュージーランドの都市と日本の都市の、はじめての姉妹都市提携となりました。