嘉永3年の水害 概要

ページ番号1011292  更新日 2025年1月25日

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嘉永3年(1850)5月27日~29日,6月1日と雨が降り続き,まず6月1日(現在の新暦では7月9日)に小田川流域で堤防が決壊して有井・下二万・矢田・八田・川辺村(倉敷市真備町)が浸水し,また柿木・軽部村(総社市清音)の高梁川左岸堤防が南北で決壊して軽部村は一気に浸水しました。さらに東高梁川が満水になり,安江村と四十瀬村の左岸堤が6月3日夜に決壊しました。このため川の東側の約60カ村の土地へ濁流が流れ込み,一面湖水を湛えたようになりました。人々は急いで山林や高場の堂宮などへ集まり,炊出しによる食糧で凌ぎました。湛え水が引いたので村へ帰ると,家屋・納屋・家財・食糧などが流出しており,田畑や用水樋・道・橋なども破損していたため,人々は途方にくれました。しかしそこから人々と領主が力を合わせ復興への懸命の努力が始まり,7月中には東高梁川の堤の応急工事が完了しました。その後も各地で復興への取り組みが行われました。大水害であったため,経験を後世に伝えるため災害記録がいくつも作られ,水害の状況を表現する絵図も多く作られました。【参考文献:『倉敷市史 第五冊』名著出版,1973年。『倉敷市史 第十冊』名著出版,1974年。森田平三郎『倉敷雑記 1』丸善株式会社岡山支店出版サービスセンター,1981年。『日本農業全集67 災害と復興2』農山漁村文化協会,1998年。『新修倉敷市史 第四巻 近世(下)』倉敷市,2003年。倉地克直『江戸の災害史』中央公論新社,2016年。「高梁川嘉永洪水絵図を読む」(上)(下)『こうほう早島』早島町,2019年6・7月号。倉地克直「嘉永三年東高梁川洪水と岡山藩領児島郡村々」『倉敷の歴史』第31号,2021年,倉地克直「嘉永四年の東高梁川堤普請と地域社会の動向」『岡山県立記録資料館紀要』第16号,2021年】。

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