くらしきしふくだれきしみんぞくしりょうかん
倉敷市福田歴史民俗資料館
【展示内容】
倉敷市福田町の干拓地を中心とした歴史・民俗資料を展示しています。
倉敷市の平地の大半は中世以降の干拓地です。米の生産が経済を支配していた江戸時代、各藩はこぞって新田開発をおしすすめました。旧高梁川河口には、干拓するのに適した広い湿地や干潟が広がっていました。展示資料は干拓地を開墾していった人々の生活をつたえています。
【福田古新田の開発】
福田古新田は、現在の倉敷市福田町古新田に当たります。江戸時代はじめ頃のこのあたりは、高梁川の運んできた土砂が堆積して広い附洲を形成していました。享保元年(1716)、この附洲を干拓する計画がもちあがりました。このとき、「高梁川の下流に広い干拓地をつくると水はけが悪くなり、上流の村は困る」として、上流の村と5年にわたる争いがありました。その後、幕府の政策変更によって干拓が許可され、享保8年(1723)に着工、同9年(1724)に完成しました。同11年(1726)には検地を受けており、面積は200ヘクタールでした。
工事の最終段階の汐止め作業では、二人の人柱がたてられたといわれています。樋の輪の地蔵様を刻んだ碑は、人柱になった人を供養したものです。
【福田新田の開発】
現在の倉敷市北畝・中畝・南畝・東塚が、福田新田と呼ばれる地域でした。弘化2年(1845)から嘉永5年(1852)にかけて、備前藩によって干拓されました。当初、備前藩は干拓を児島柳田村の庄屋汲五平に任せていましたが、工事がなかなか進まなかったため、嘉永元年(1848)に児島味野村の野崎武左衛門に工事を請け負わせることにしました。野崎家は児島の塩田で財をなした大富豪です。約625万平方メートルに及ぶ干拓地を囲む堤防には、三ヶ所に余水・悪水を排出するための水門が設けられています。【現地周辺の地図】
所在地 |
〒712-8046 倉敷市福田町古新田1209番地の1 |
電話 |
086-455-9253 |
開館時間 |
毎週火・水・土・日 午前10時~午後4時 |
休館日 |
毎週月・木・金・年末年始(12月28日~1月4日)・その他
※月・木・金曜日が祝日に当たるときは開館し,その日後の最も近い祝日でない日を休館する。 |
交通手段 |
JR倉敷駅から、JR児島駅行きバス 松竹梅バス停下車すぐ。 |
駐車場 |
施設敷地内に有り(専用3台)・無料 |
入館料 |
無料 |
【現地周辺の地図】