ナギヒロハテンナンショウ

サトイモ科の多年草で、岡山県勝田郡奈義町の那岐山(なぎさん)にちなんだ名前を持つ。

倉敷市立自然史博物館の収蔵標本(1999年に当館職員がテンナンショウ属の一種として採集したもの)をもとに新種と気づかれ、2008年に発表された(タイプ産地は兵庫県)。

なお、現在は国内希少野生動植物種に指定され、採取や譲渡し等が原則禁止されている。

レプリカ

実物を型取りするなどして色、かたち、サイズに至るまで実物の姿を再現した模型をレプリカという。

博物館では、植物やきのこなどのように、色や立体構造を保ったままの標本化が難しい生物の展示にレプリカが活用されている。 
写真はレンゲツツジ、キシツツジ、タマゴテングタケ、ドクツルタケのレプリカ。

タマゴテングタケ、ドクツルタケのレプリカ

 

森の宝石ブッポウソウ

日本には夏鳥として渡来し、本州・四国・九州で局所的に繁殖する。

岡山県では中北部で繁殖しているが、1980年代頃までには個体数が減少した。

その後の巣箱架設による保護活動によって個体数は増加している一方、自然の樹洞での繁殖が確認されなくなっている。

岡山県:絶滅危惧Ⅰ類、環境省:絶滅危惧ⅠB類

森の宝石ブッポウソウ

世界唯一の朝鮮半島産ベニワスレ合弁標本

ベニワスレは房総半島・福井県〜台湾、ベトナムまでの浅海の細砂底に産し、近年は環境悪化によって激減している。

日本では江戸時代から存在が知られていたが、ずっと海外産の別種に誤同定され続け、2021年にようやく新種記載された。

その際、パラタイプには、畠田和一が戦前、韓国ウルサン(蔚山)で採集した標本1個体も指定された。

本種は朝鮮半島では稀産で、従来は半片死殻のみが知られていた。

したがって畠田の標本は、所在が確実な朝鮮半島産の本種の合弁個体としては、現時点で唯一のものである。

世界唯一の朝鮮半島産ベニワスレ合弁標本

別子鉱山(別子銅山)の高品位銅鉱石(緻密な黄銅鉱・斑銅鉱・黄鉄鉱の集合体)

1690年に発見された別子鉱山の銅鉱床は江戸中期に世界的な銅鉱山となった。明治以降は西洋の技術を取り入れ1973年まで採掘が行われ、産出した銅の量(金属量)は約70万tで栃木県足尾鉱山と並び日本最大の銅鉱山だった。

別子鉱山の銅鉱床は、約1億5000万年前、今の場所から遠く離れた海洋底の火山活動で,銅を含んだ熱水が海底に噴き出し、銅の海底熱水鉱床ができ,地球表面のプレートの動きでそれがユーラシア大陸縁辺部で地下深部に押し込められ,高い圧力と温度で変成したもので、キースラガーと呼ばれる銅鉱床である。

キースラガーは世界のプレート境界部付近のあちこちで見られるが,昔から別子鉱山の銅鉱床がその典型例として研究されてきたので世界的な用語で別子型鉱床(bessi-type deposits)ともいう。

別子鉱山の銅鉱石は,金色の黄鉄鉱と黄銅鉱の密な集合体が緑色片岩(海洋底玄武岩が変成した岩石で、くすんだ緑色で薄くはがれるように割れる)に伴われるものである。

この別子鉱山の鉱石は特に銅含有率が高く、地下深部での高圧下で可塑性の違いで濃い金色の黄銅鉱が黄鉄鉱から分離濃縮し、それが変成作用で部分的に紫色の斑銅鉱と淡い金色の黄鉄鉱の集合体に分解したものである。

別子鉱山操業時にはこのような鉱石は「はねこみ」と呼び、特に銅含有率が高いので貴重視され、その紫色の斑銅鉱はその色から「紫蘇鉑(しそはく)」と呼んだ。

部分的に銀色粒状のコバルト鉱物らしいものも見られ、これも変成作用でできたものである。

なお、江戸時代は別子鉱山の銅鉱石から製錬された銅は,船で大阪に運ばれ,微量に含まれる金・銀が南蛮絞りという方法で抽出された後、その銅は寛永通宝などの銅貨幣にされ、また,棒状に加工されたもの(竿銅)は長崎に送られオランダとの貿易に使われた。

昭和時代には坑道は地表から2200mの深さに及び(坑道の深さは日本最深)、地圧による坑道の崩壊もあり1973年に閉山した。

別子鉱山(別子銅山)の高品位銅鉱石(緻密な黄銅鉱・斑銅鉱・黄鉄鉱の集合体)

北海道恵庭市光竜鉱山の超高品位金銀鉱石

金銀鉱脈の幅全体(幅約15cm)が採取された標本で、全体に白っぽく硬い石英からなり、標本両端部の黒色層状部分は銀黒(ぎんぐろ)といい、微粒の金粒や銀の鉱物などが集まっている部分で、特に左側の端から1cm程度の厚さの部分には約10%の金が含まれている。

なお、通常の金銀鉱石の金含有率は0.0002~0.0005%程度である(1トンの金銀鉱石中の金含有率は2~5グラム程度)。

この鉱石に見られる縞模様は、岩石の割れ目に200250℃程度の熱水が流入し、その熱水に溶けていた金・銀・ケイ酸分が内側に向けて積み重なるように沈殿してできた組織で、金銀鉱脈の伸び方向である。

北海道恵庭市光竜鉱山の超高品位金銀鉱石

昭和初期に発行された「岡山一中科学班雑誌」

岡山県第一岡山中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校の前身)で1939年から1943年にかけて発行された雑誌で(初期の誌名は「博物同好会会報」)、同校出身の黒田祐一氏の遺品。

初期の号は現存する唯一の原本と思われる。

昆虫をはじめとする当時の自然環境が記録されている貴重な文献。

たとえば、創刊号(写真左上)には岡山後楽園付近の水溜まりにはゲンゴロウやコガタノゲンゴロウが多産するとの報告がある。

今では想像もつかない豊かな自然が岡山市中心部にあったらしい。

昭和初期に発行された「岡山一中科学班雑誌」

岡山県産のヒゴタイ

ヒゴタイは中部地方より西に分布するキク科の多年草で、各地で絶滅が危惧されている。

岡山県においては、近年まで証拠標本が確認されておらず、文献記録のみであった。

2014年、古屋野寛氏採集の植物標本約3,000点が当館に寄贈された。

その中に、1950年に神郷町(現 新見市)で採集されたヒゴタイが含まれていた。

岡山県での分布を裏付ける、今のところ唯一の物的証拠である。

「岡山県版レッドデータブック2020」で絶滅種。

岡山県産のヒゴタイの標本

秋田県八郎潟で絶滅したカワザンショウ

カワザンショウ属貝類は現在も全国各地の河口に様々な種が産するが、日本海沿岸は潮の干満差が小さく汽水域の発達が貧弱なため、産地はもともと局限される。

例外的に秋田県八郎潟では「テシオカワザンショウ」の文献記録が古くから存在し、これは津軽〜能登半島間で唯一の産出例であったが、八郎潟は1961年の閉め切り淡水化および干拓によって、本種を含む汽水性の貝類は一挙に絶滅した。

現時点で所在が確実な八郎潟産「テシオカワザンショウ」の標本は、畠田和一コレクション中にのみ知られる。干拓前の19506月、西村正から譲り受けたもの。

改めて検討するとテシオカワザンショウ(北海道固有の未記載種)ではなく、カワザンショウ Assiminea japonica Martens, 1877 に同定するのが妥当と考えられる。

本州日本海沿岸北東部で唯一知られていた特異な個体群ながら、惜しくも絶滅し、かけがえのない標本である。

秋田県八郎潟で絶滅したカワザンショウ

県内最大級の水晶

長さ約30cm 岡山県吉備中央町下加茂 加茂鉱山

モリブデン鉱山の鉱脈の大きな空洞から産した黒水晶。

昭和以前の産出。

県内最大級の水晶