日本遺産の生野鉱山は日本有数の大規模鉱山で、16世紀~江戸時代に銅・鉛のほか、銀の産出が多かった。
しかし、明治以降は銀よりも銅・亜鉛・鉛・スズなどを主目的に採掘が行われた(1973年閉山)。
これは江戸時代に手掘りで採掘された地表近くの鉱脈は銀に富み,明治以降,欧米のダイナマイトなどを使った採掘方法で地表から約200mより深い鉱脈へ採掘が進むと,銅・鉛・亜鉛・スズなどの産出が多くなったためである。
したがって,生野鉱山は生野銀山と呼ばれながらも現存するその銀鉱石は少ない。
この銀鉱石は全体的に石英質で,輝銀鉱と自然銀を多く含む灰黒色の部分と,それに挟まれるように黒変した粗い自然銀を伴う白い石英が見られる。
そして、昭和時代には生野鉱(ikunolite)などの世界新種の鉱物や、日本で未発見であった鉱物が報告された。