資料4 風災ニ付歎願

資料4 風災ニ付歎願

資料4 「風災ニ付歎願」(倉敷市所蔵大江三宅家文書)

資料4-1

資料4-2

資料4-3

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風災ニ付歎願

浅口郡

第四部戸長役場内部内

連島村

亀島新田村

右両村之義ハ東高梁川ヲ隔テヽ窪屋・児島
之両郡ニ接シ,西北ハ山林ヲ挟ミテ本郡片島・
西阿知之両村ニ隣ル,南面ハ一帯之海岸ニ
シテ則チ水島灘トス,然ルニ客月廿五日午後
七時ゟ東南ノ風起リ,同十一時ニ至リ大風トナリ,
翌廿六日午前二時南西ノ風トナリテ其勢最モ
強ク,為メニ怒涛天ヲ巻キ暴風ハ地ヲ穿チ近
郷新地ハ悉皆破堤シ,家屋流亡人畜溺
死スル者挙ケテ数フ可カラス,実ニ前代未聞
之最大変事ニシテ其惨状見聞スルニ忍ヒ
サル処ナリ,而シテ当両村ノ如キハ幸ニ堤防破
壊ニ至ラズト雖モ,海岸水門破レ潮水耕
地ヘ流入シ,加フルニ堤防上激浪打越耕地一円
ノ汐入ト相成,為メニ家屋ノ流失及潰家十
七戸,溺死四人ニ至ル(割注 他所ニテ溺死スル者凡九人)故ニ稲作及ヒ綿
作共皆無之姿ニ相成,然レトモ稲作之義ハ
尚期節ノ早キヲ以テ此先土地ニ依リテハ半作
位ハ登リ可申候得共,綿作ニ至リテハ少シモ
収穫ノ目途無之,明年蒔付之綿実御購
求方別途上願可仕心得ニ御座候,且綿作ノ義
ハ種子肥之代等壱反歩ニ付凡六円余ノ費
額ヲ失フ上ニ,尚地方税村費等多分相掛リ
一銭ノ収益無之テハ,必至当惑仕候,前条
罹災之義ハ実以当村開闢以来未曽
有之大変ニシテ,往々飢餓ニ迫ル者出来
候ハ目前ノ事ニ御座候,然ルニ田畑租税ノ
如キハ夫々成規ノアリテ之レガ怠納ヲ為
ス時ハ直チニ土地公売ノ御処分アレハ厳重
上納為サヽル可カラズ,然ルニ本年分畑租第一期
ノ如キハ可也上納仕候得共,第二期ゟハ上納
ノ目途無之,今日ヨリ甚タ苦慮罷在候,汐
入荒地之義ハ荒地上願且公儲金施行
規則ニ照準セシ分ハ夫々其順序ヲ経テ
上願可仕筈ニ候得共,畑方綿作潮水ノ為メ収穫
皆無相成候分ハ別途御救助之道無御座
候テハ,地持立行不申,加フルニ当両村物産之
義ハ綿作ヲ以第一トス,村民モ亦綿ニ拠リテ生計
ヲ営ムモノ十ノ六七ナリ,然ルニ些少之収穫モ無之
中ハ別途カ役之目途モ無之,実ニ難渋
至極之事ニ御座候間,何卒至急実地
御検査之上,特別之御恩典ヲ以御救助之
道相立候様被成下度,則被害反別
其他計算概略書相添,私共地持惣代
トシテ奉歎願候条,御憐察之上願意
御聞届之程奉請願候也

浅口郡連島村地持惣代

三宅節夫(印)

明治十七年九月七日   三宅光次(印)

薄田初太郎(印)

数田好右衛門(印)

大熊静一(印)

大熊浅右衛門

見持辰治郎(印)

三宅六太郎(印)

同郡亀島新田村地持惣代

板谷九郎(印)

平野春次郎(印)

竹内多作(印)

阿部多喜造(印)

堀井平三郎(印)

岡部産造(印)

堀井修平(抹消線引き有)

岡山県令高崎五六殿

読み下し

風災につき歎願

浅口郡

第四部戸長(こちょう)役場内部内

連島(つらじま)村

亀島新田(かめじましんでん)村

右両村の義は東高梁川(ひがしたかはしがわ)を隔てて窪屋・児島の両郡に接し,西北は山林を挟みて本郡片島(かたしま)・西阿知(にしあち)の両村に隣る。南面は一帯の海岸にしてすなわち水島灘(みずしまなだ)とす。しかるに客月二十五日午後七時より東南の風起こり,同十一時に至り大風となり,翌二十六日午前二時南西の風となりてその勢い最も強く,ために怒涛天を巻き暴風は地をうがち近郷新地は悉皆破堤し,家屋流亡人畜溺死する者挙げて数ふべからず。実に前代未聞の最大変事にしてその惨状見聞するに忍びざるところなり。しかして当両村のごときは幸いに堤防破壊に至らずといえども,海岸水門破れ潮水耕地へ流入し,加ふるに堤防上激浪打ち越え耕地一円の汐入と相成り,ために家屋の流失および潰家十七戸,溺死四人に至る(割注 他所にて溺死する者およそ九人)。ゆえに稲作および綿作とも皆無の姿に相成り,しかれども稲作の義はなお期節の早きをもってこの先土地によりては半作くらいは登り申すべく候(そうら)えども,綿作に至りては少しも収穫の目途これなし。明年蒔き付けの綿実御購求方別途上願仕(つかまつ)るべき心得に御座候(そうろう)。かつ綿作の義は種子肥の代などは一反歩につきおよそ六円余りの費額を失ふ上に,なお地方税村費など多分相掛かり一銭の収益これなくては,必至当惑仕り候。前条罹災の義は実にもって当村開闢以来未曽有の大変にして,往々飢餓に迫る者出来候は目前の事に御座候。しかるに田畑租税のごときはそれぞれ成規のありてこれが怠納をなす時はただちに土地公売の御処分あれば厳重上納なさざるべからず。しかるに本年分畑租第一期のごときはかなり上納仕り候えども,第二期よりは上納の目途これなし。今日より甚だ苦慮まかりあり候。汐入荒地の義は荒地上願かつ公儲金(こうちょきん)施行規則に照準せし分はそれぞれその順序を経て上願仕るべきはずに候えども,畑方綿作潮水のため収穫皆無に相成り候分は別途御救助の道御座なく候ては,地持立ち行き申さず。加ふるに当両村物産の義は綿作をもって第一とす。村民もまた綿に拠りて生計を営むもの十の六七なり。しかるに些少の収穫もこれなき中は別途課役の目途もこれなし。実に難渋至極の事に御座候間,何とぞ至急実地御検査のうえ,特別の御恩典をもって御救助の道相立ち候様なし下されたく,すなわち被害反別その他計算概略書相添え,私ども地持惣代として歎願し奉り候条,御憐察のうえ願意御聞き届けのほど請願し奉り候なり。

浅口郡連島村地持惣代

三宅節夫(印)

明治十七年九月七日   三宅光次(印)

薄田初太郎(印)

数田好右衛門(印)

大熊静一(印)

大熊浅右衛門

見持辰治郎(印)

三宅六太郎(印)

同郡亀島新田村地持惣代

板谷九郎(印)

平野春次郎(印)

竹内多作(印)

阿部多喜造(印)

堀井平三郎(印)

岡部産造(印)

堀井修平(抹消線引き有)

岡山県令高崎五六殿

意訳

風災につき歎願

浅口郡

第四部戸長役場内部内

連島村

亀島新田村

右の両村は東高梁川を隔てて窪屋・児島の両郡に接し,西北は山林を挟んで浅口郡片島村・西阿知村の両村に隣接している。村の南面は一帯の海岸になっていて水島灘という。そのようなところに先月8月25日午後7時より東南の風が発生し,11時に至って大風になり,翌26日午前2時南西の風に変化してその勢いは最も強くなり,そのため風にあおられた怒涛が天空を巻き暴風が地面をつらぬき,近郷の新開地(福田新田)では堤防がことごとく破れ,家屋の流失・人や家畜で溺死する者は数えることができないほどである。実に前代未聞の最大の変事であってその惨状は見聞するのもつらいところである。そんな中,連島・亀島新田村の両村のような場所では,幸いにも堤防破壊の被害に遭わずに済んだものの,海岸の水門が壊れ,潮水が耕地ヘ流れ込み,これに加え堤防上を激しい波が乗り越えて耕地全体が潮水に浸される状態になり,そのため17戸の家屋が流失または倒壊し,4人が溺死した(他所で溺死した住民もおよそ9人いた)。そのため稲作および綿作とも壊滅状況になってしまった。しかしながら稲作については,なお植え付け時期が早かったため今後土地によっては半分くらい収穫できる可能性があるけれども,綿作に関しては少しも収穫の目途がなく,明年蒔き付ける綿実(綿の種子)の購入について別途請願するつもりである。また綿作については一反歩につき種子肥料代などにして約6円余りの金額を失ったうえ,さらに地方税や村費などがたくさん掛かるので,一銭の収益もない状況では必ず当惑してしまう。前記したような罹災は本当に当村がはじまって以来の未曽有の大変事で,ゆくゆく飢餓に苦しむ者が現れるのは目前のことと思われる。そのうえ,田畑にかかる租税にはそれぞれ規則があり滞納した場合はただちに滞納者の土地が公売処分されてしまうので,厳重に上納せざるを得ない。こうした状況下,本年分の畑にかかる租税のうち第1期納付分はかなり上納できたけれども,第2期納付分以降は上納の目途がなく,現在大変苦慮している。潮水が入って荒地になった場所については荒地上願(荒地に対する租税免除の請願)と公儲金(自治体など公が積み立てた貯金)施行規則に照らして(租税免除や公儲金給付の)対象になる分はそれぞれ順序をふんで請願するつもりだが,畑地の綿作が潮水のせいで収穫ゼロになった分に関しては別途救助の手立てを講じてもらわないと,地持(地主)の生計が立ち行かない。これに加え,連島・亀島新田両村は綿作をもって第一の物産としており,村民もまた綿に頼って生計を営む者が6~7割に達している。そうであるのに些少の収穫もない中では別途に課役をつとめる目途も立たない。実に難渋至極の状況なので,何とぞ至急に実地を御検査のうえ,特別の御恩情をもって救助していただけるよう配慮していただきたく思い,ただちに被害地の面積その他を計算した概略書を添えて,私ども地持(地主)惣代として歎願させていただくので,御憐察のうえ依願の趣意をお聞き届けくださるよう請願させていただくところである。 (年月日・署名・宛先省略)