「倉敷市」50周年記念事業として、将棋の第75期名人戦七番勝負第5局が平成29年5月26日・27日、倉敷で開催されました。倉敷での名人戦開催は23年ぶり。佐藤天彦名人に稲葉陽八段が挑戦し、2勝2敗の五分で迎えた第5局。対局の前日から、写真で振り返ります。
倉敷市出身「不世出の棋士」大山康晴15世名人の墓前で手を合わす佐藤名人(左)と稲葉八段。
佐藤名人は大山名人の孫弟子です。
大山名人記念館を訪れ、「大山名人手書きの棋譜ノート」に見入る佐藤名人。
「大山名人手書きの棋譜ノート」とは・・・このページの最後で紹介します。
美観地区の中橋で記念撮影。
稲葉八段(左)と佐藤名人(右)。
検分の様子。将棋盤を2面用意し、どちらが良いか選んでもらっています。
2面とも大山名人記念館所蔵。左の盤の厚さは5寸7分、右の盤は7寸7分。
7寸7分の盤が選ばれました。この盤は23年前、倉敷で行われた名人戦に使用されたものです。
駒は掬水作菱湖書が選ばれました。このページの最後で紹介します。
続いて前夜祭。会場は倉敷国際ホテル。花束贈呈者は第34代倉敷小町の浅井那月さん(左端)と、大山名人記念館子ども将棋教室出身・平成27年高校将棋選手権女子個人全国3位の難波遥香さん(右端)。
倉敷市長から両対局者に記念品としてマスカットワインと倉敷市50周年記念ジーンズバッグが手渡されました。マスカット、ジーンズともに倉敷市の特産品です。
左から里見咲紀女流初段、菅井竜也七段、西田拓也四段、澤田真吾六段、山崎隆之八段、福崎文吾九段、井上慶太九段。名人戦の見どころ解説。
午前9時対局開始。佐藤名人(写真右)の初手は▲7六歩でした。
午後1時からは対局場のすぐ近くの倉敷公民館大ホールで大盤解説が行われました。
解説棋士は岡山市在住の菅井竜也七段(右)、聞き手は里見咲紀女流初段(左)。
里見咲紀女流初段は、里見香奈倉敷藤花の妹です。
会場後ろのスクリーンに、対局室の様子と盤面が表示されています。
大盤解説会場には約140人の将棋ファンが訪れました。
井上慶太九段(左)と中田功七段(右)。
井上九段は稲葉八段の師匠、中田七段は佐藤名人の師匠。
両対局者の師匠がそろって大盤解説に登場とは、珍しいと思います。
中田七段は大山名人の弟子です。師匠と弟子が名人という棋士は、中田七段のみです。
午後6時30分、佐藤名人が「封じ手」を行いました。立会人の福崎九段に封じ手を提出しているところです。
午前8時15分、ホテルから人力車で出る佐藤名人。関係者の話では、名人戦で対局者が人力車で対局場入りするのは初のことではないかとのこと。
今橋を渡ったところ。背景は大原美術館。
午前8時30分、挑戦者稲葉八段の出陣。
対局場所に向かう稲葉八段。
対局場所の料理旅館鶴形に到着。
午前9時、「封じ手」を開封する立会人の福崎文吾九段。
封じ手は「▲2四飛」でした。「封じ手」の実物はこのページの最後で紹介します。
大盤解説会場です。土曜日ということもあってか、入場者数はのべ440人と、大盛況でした。
将棋は107手目、佐藤名人の▲6五香で稲葉八段が投了。終局時刻は午後7時32分でした。
倉敷駅前周辺に名人戦開催を告知する街頭フラッグを設置しました。
佐藤名人が見入っていた、大山名人手書きの棋譜ノート。平成29年1月、大山名人の遺族から大山名人記念館に寄贈されました。最も古い棋譜は二段当時の昭和14年、兄弟子の升田幸三・六段(当時)との一門会での角落ち。対局後の感想などもつづられています。現在、大山名人記念館で展示中です。
こちらが名人戦対局に使用された駒。掬水作菱湖書。大山名人記念館所蔵。
前日の検分時、両対局者に揮毫していただいた色紙。大山名人記念館に展示予定です。
前夜祭の一般参加者に配布された記念品です。名人戦記念扇子と、将棋マスキングテープです。マスキングテープは倉敷の特産品のひとつ。なお、将棋マスキングテープは非売品です。
「封じ手」です。大山名人記念館に展示予定です。
以上で最後となります。では!