水島は、水島臨海工業地帯(水島コンビナート)で有名です。
水島の歴史をさかのぼれば、数十万年前には瀬戸内海は陸地であり、また児島半島が島であったころには一面の海だったといわれています。そののち、高梁川デルタの新田開発、高梁川改修、農業干拓や工場用地埋立などの時代の変遷を経て、今日の形になりました。
水島という地名が史上最初にあらわれたのは、今からおよそ八百年前の寿永二年(1183年)旭将軍木曽義仲の先遣軍と平家軍とが備中の水島途で戦った源平合戦だそうで、源平盛衰記や平家物語に記されています。
戦前は、農漁村地帯でしたが、戦時中の1943年三菱重工業(株)航空機製作所岡山工場(現:三菱自動車工業(株)水島製作所)が誘致され、操業を開始。戦後の高度経済成長に伴って工業化。日本有数の工業地帯となりました。
現在でも農業は残っており、高梁川の廃川地土壌を利用したごぼう栽培、干拓地でのレンコン栽培が行われています。