水島の歴史と現在
「水島」とだけ名づけられた土地は、戦前には存在せず、「水島」の地名を初めて冠せ定着させたのは、1943年に建設された軍需工場「三菱重工業水島航空機製作所」でした。
水島地区は、戦前は漁業と干拓農業を主とする農漁村でしたが、戦後本格的な工業化が進められ、海面埋立て工事により工業用地を造成し、昭和39年には水島地区を中心とする岡山南地区が新産業都市に指定されました。
以降数多くの企業が進出し、水島コンビナートとして日本有数の臨海工業地帯となりました。
平成23年5月に水島港が「国際バルク戦略港湾」として選定され、12月に水島コンビナートが「地域活性化総合特別区域」に指定されました。
そうした眠らないコンビナートの美しい夜景も見所ですが、元日には呼松の「佐曽宇~サソウ」、夏には地域住民総参加の「水島港まつり」、連島の「施餓鬼(せがき)」などの行事や祭りも行われ、「連島れんこん」や「連島ごぼう」などの農産物も盛んです。